たくさんの参加をいただきました。本当にありがとうございました。
当日、触れられなかったことについて、いくつか書いてみたいと思います。
一つはクリエイティビティが、情報の扱い方の問題だということ。
コップから、いくつもの情報の触手を伸ばしていく。そこで別の情報とつながっていく。そういう意味で、「コップをとりかこむふわっとしたもの」という表現をしました。
生島さんから、エントロピーは減るよね、という話があったのですが、エントロピーの問題とは違う気がしています。むしろ、コップが無限のつながりを求め始める点で行けば、それはコップ一つのエントロピーの減少ではなくて、コップを取り巻く世界というレベルでのエントロピーの減少を言わないといけないのではないかと思っています。だから、「コップのテクスチャーを特定することでコップという情報のエントロピーを減らす」というのではなく、「コップのテクスチャーの無限の可能性を想像することで、コップの周りにある世界に、予見できないくらいのさまざまな可能性を見いだす」ということなんです。
で、これが禅であり、座禅なんですね。禅は、自分自身を特定してエントロピーを減らすという行為ではなく、身体から触手を伸ばして、外部環境といりまじり、境界をなくし、結果、自分をとりかこむ世界のエントロピーは減るようにみえて、しかし可能性が膨大に増えていく現象なんです。生島さん、これをなんと呼べばいいんですか?
Posted by ryu2net at 2005年05月30日 22:01 | トラックバック事象は、つまり物理的世界はエントロピーで表現可能ですよね。しかし、情緒的なもの、観念的なものは説明不能だと思っています。説明がいつの間にか観念的なものになっている場合は無理がある。
これとはちょっと異なりますが、ロジカルに考えて考え抜いて頭がこれ以上回らないという局面で初めて情緒力とでも言うべきものが働き、まったく新しい見方、考え方が導かれたりすることがあると思います。
ロジカルに固執することで、この可能性をなくしてしまう危険性があるように思います。ツールに頼るのもこれと似ているのではと考えています。
答になってますか?
幸之介くんからもメモいただきました。
http://knoa.jp/memo/?id=2005-05-30+00:11
あ、HTMLタグでのリンクだめでした。
再度
http://blog.livedoor.jp/rune1006/archives/23624710.html
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