今、ズービン・メータ指揮、ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団のサン・サーンス交響曲第3番「オルガン付」を聴きながらコラムを書いている。
もう既に何百回となく聴き続けているわけだが、やはり気に入らない。
メータの指揮は高い評価をしているのではあるが、ロサンゼルス・フィルの
サウンドは、何度聴いても好きにはなれない。
米国には、世界的に超一流といえる素晴らしいオーケストラがいくつも存在する。
しかし、ロサンゼルス・フィルと他のオーケストラの違いを言うと、シカゴ交響楽団のような通常の楽団の数倍もの音量でまとめ上げてしまえるようなパワフルさは全く存在しないし、ニューヨーク・フィルのようにパワフルさは全然ないけれど、渋いサウンドということもなく、フィラデルフィア管弦楽団のような華やかさもないし、ボストン交響楽団のように個々のスキルが高い上に、ポップス演奏までを一流のサウンドで聴かせるような器用さもない。
一言で言うと、悪い意味での米国的脳天気さ(下品といってよいかもしれない)を強く感じさせるサウンドである。
音色が明るめで、「音の芯」が希薄な音色であるから、このような印象を抱いてしまうのであろう。
これは、企業に当てはめると、社長を変えることで「企業風土」や「企業文化」が急に変わるのかという議論と関係するかもしれない。
指揮者がレコーディングを馴染みのないオーケストラで行った場合、曲の解釈については指揮者の意向が色濃く反映されていても、オーケストラのサウンドが根本的に変わってしまうようなことは、まずありえない。
というか、オーケストラの団員が頑固であるためなのか、事例として皆無である。
でも、実はオーケストラのサウンドを、指揮者が変えてしまうことは可能なのである!!
有名指揮者が変えた事例は、皆無なのであろうが。
では、世界初かもしれない発言を以下に書いてしまおう。
なぜ、個々に特徴を持つオーケストラのサウンドそのものを変えることができるというのか?
それは、ロサンゼルス・フィルの場合には、現状のサウンドで演奏することは、大きなマイナスなのであり、サウンドを変更するような指導を専任音楽監督たる指揮者が、具体的に指示していくことによって、いくらでも可能なのである。
国内オーケストラで超一流と思われていないオーケストラ全般について、なぜ超一流と思われるサウンドに変更できないかについて、明確な理由がある。
それは、音楽監督に就任してそのオーケストラを育てていかないといけない指揮者達が、ビジネスにあてはめると「戦略」と「戦術」のよばれるものについての違いを全く理解してこなかったことが、最大の理由である。
個人的に定義付けさせていただければ、「戦術」とは日常における行動方針のようなもので、オーケストラにおいては、個々の旋律の演奏についての解釈を伝えていくような作業を指す。
実は、コンサートに至る準備は、ほぼこの作業だけで終わっているのが現状なのである。
何を言いたいか?
上述の状況では、戦術該当部分があっても、戦略に該当するものがゼロのままなのである。
戦略とは、3年後にはこれだけの利益を出したいなどの目標(ビジョン)と、戦術や日常の行動との間を繋げるための諸々を考えることを指す。
すなわち、戦略に手を染めていくということは、組織におけるビジョン、ミッション、事業コンセプト、事業ドメイン、ターゲット顧客、マーケティングミックスという点を明確にしていくことであり、演奏の目標に理想的サウンドということが含まれるのであれば、自ずとサウンドそのものも楽団員全員が共有化されるものが、浮き彫りにされていくわけである。
一流と呼ばれないオーケストラには戦術があっても戦略がない。
これは日産がカルロス・ゴーンを社長として招いても、小さなデザイン変更だけで新機種だと誤魔化すような戦術を行っていれば、日産の復活は絶対になかったわけであり、繰り返すと「組織におけるビジョン、ミッション、事業コンセプト、事業ドメイン、ターゲット顧客、マーケティングミックス」という戦略と呼ばれるところを具体的に行動ができるようなメスを入れていったことが、企業変革に繋がったわけなのだろう。
これは、まるで一時的にレコーディングするための指揮者のような指示をゴーンがやっていたなら、今日の日産の姿はあり得なかった。
すなわち、戦術に走るのではなく、戦略を深く理解してもらうところに主な力を入れつつ、それを各現場担当者に落とし込んだ場合、どのような実践となるのかまでを明示していったところが画期的であったのだろう。
何度も繰り返すが、「戦術」とは日常的行動規範のようなものである。
サウンドを変えるのは、演奏方法の指示よりも、一層高い指示となる。
「戦略」と「戦術」の違い、様々な「層」が上下に拡がっており、それを認識した上で、目的の層に向けて的確に語ること。
これができれば、既存の指揮者が演奏における解釈の指示だけでなく、サウンド自体の指示が可能となる。
「演奏の解釈」の上層に「サウンド構築」というものがあるのだから、「層」が違うと認識していない以上、サウンドを変えることはできない。
勿論そのためには、演奏のビジョンや基本コンセプトを語り、それに最適なサウンド像を理解してもらう語りができることが前提となるわけであるが。
こんな話は、ちょっとした戦略論の話となるかと思っている。
コヤマン、戦略論の話として成り立つかなあ。
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