2005年06月07日

生活感をもつこと

クリエイティブシンキングの話をするときに、いつもふと頭をよぎることがあります。とくに、禅をクリエイティブメソッドとして紹介すると、そこにはどうしてもある「ニュアンス」が出てきてしまいます。

その「ニュアンス」というのは、宗教の話です。僕は京都大学に在学中、オウムの事件を知りました。たまたま大学からオウムに行く人が多かったこともあり、「エリートの弱さ」というような文脈でオウム入信が語られることもあったわけです。そのプロセスは、既存の常識を疑い、ロジックを無効にするところからはじまります。これは実は、禅のプロセスとほとんど同じで、まさにその点においてオウム真理教は「創造的」だったわけです。世間からの遊離という意味で。

クリエイティブシンキングで禅のメタファーを説明すると、そういうことが頭をよぎるわけです。それは、オウムが「終末」をもたらそうとしたサリン事件を生み出した「発想」とどう違うのか。「ロジックをはずす」というのは、クリエイティビティに不可欠なプロセスではなるのですが、一歩間違えればとんでもない方向へと向かってしまいます。

先日、オウム真理教のその後をとらえた「A」「A2」といったドキュメンタリーをみました。その後、そうした危険な方向に行かないための方法は、こういうことではないかと思い当たったことがありました。それは、「情報の間に生まれるものを信じる」ということではないだろうか、と。

オウム真理教の修行を見ていると、そこにはあくまで、個人の修行、個人内面での修行ということが強調されています。他人との関係はおざなりになり、その結果、社会との関係がたちきれてしまうんですよね。でもクリエイティブシンキングでは、むしろその、「間」が重要となってくる。人と人の関わりの中に生まれるものを重視する。言い替えると、そこには、「生活」があるんですよね。

前述の「A」「A2」では、そうした「関係性」の問題、そして「生活」の問題がクローズアップされている。霞を食っては生きていけない。クリエイティブシンキングも、霞からアイデアを出してしまうようだと、あらぬ方向に行ってしまうような気がするんですね。

Posted by ryu2net at 19:51 | コメント (0) | トラックバック