年齢が上がってくると昔を振り返るだけで原稿が埋まってしまうので便利ではある。今回は台風の話を書く事にする。
平成2年頃は某電力本店で事故担当をしていた。これは、全社に40箇所ほど(現在は統廃合で減っている)ある営業所配電課から上がってくる停電事故の報告を集約し、新聞の報道状況なども添えて、取締役まで報告するという仕事である。
大企業の取締役などというのは、入社3年目のヒラ社員にとっては雲の上の存在であった。停電の規模や、人身災害の有無、新聞の報道状況などによって、どこまで報告するか決まっていた。台風など社会的影響が大きいものについては、「官庁報告」といって、大阪城の横の通産局まで報告する必要がある。
http://www.nisa.meti.go.jp/safety-kinki/denryoku/accident/index.htm
台風毎に状況把握のため、会社に泊まりこむ事になる。平成2年は台風の当り年であった。最終28号が上陸したのは11月30日であり、これは最も遅い記録である。関西には4つほど上陸したが、最も強烈だったのは19号である。
http://www.kishou.go.jp/know/typhoon/6-1.html
http://www.d-web.co.jp/special/typhoon.aspx
沖縄あたりでは中心気圧890hPa、コースも関西に壊滅的被害をもたらした第2室戸台風と重なっていた。電柱は風速40メートルまでは耐えるよう設計されているが、それ以上になるとバタバタと倒れだす。死に物狂いでやったとしても、数十年かけて営々と築いてきた設備を数日で復旧できる訳はない。
http://www.data.kishou.go.jp/bosai/report/1961/19610915/19610915.html
電気が止まれば、水道、医療等も停止し、もちろん電灯も冷蔵庫も使えないので、町を放棄する他無くなる。いくら州政府が優秀でも、住民を脱出させるしかないのはカトリーナ、リタでも証明された。放棄された町では、略奪が横行し、前近代社会に逆戻りである。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050930i111.htm
幸い19号はスライスして、人口密集地の直撃は免れた。翌年、平成3年の台風19号は、中国地方を東に進み、瀬戸内に甚大な塩害被害をもたらした。今年の19号は台湾を横切って中国大陸の方に行ったが、台風は19号あたりが最も危険である。
何度も水につかるニューオーリンズの町を見て、ナイル川の氾濫で測量技術を発達させた古代エジプト文明を思い出したが、現代文明の基盤などは、自然災害の前には案外脆いものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E6%96%87%E6%98%8E
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