白川静氏が亡くなった。高齢化社会における最大の損失は、高齢者の死去とともに、その頭脳に蓄積された知識や経験が消滅してしまう事であろう。文化財保存も重要であるが、人間の知恵の保存について、もっと資金が投入されるべきと思う。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1101/001.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B7%9D%E9%9D%99
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/cl/shirakwa/index.htm
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/sio/index.html
白川氏がライフワーク「字書3部作」を完成させたのは86歳という事であるが、偉い学者ほど、退職後も死ぬまで研究を続けている。大学での最終講義は、真の最終では無いのである。
学問の世界では、論文、書籍など「書かれた物」にしか、その価値が認められなかった。研究者は文章の執筆に多大な労力を費やしている。その理由は、「文章は永遠」という認識があったからである。
ただ実際には、白川氏の甲骨文字まで遡らなくとも、高野山に残っている平安時代の教典とか、水戸の弘道館に残っている幕末の資料だって、普通の人間には全然読めないのである。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~maru0505/newpage99.htm
それに折角書かれた専門書だって、すぐに絶版になってしまう。論文だって机の上ですぐに行方不明になってしまう。「文章は永遠」というのは間違っているのである。
研究者というのは小さな革命家である。その発見や思想によって、世の中が少し変化する訳である。したがって、世の中への作用が最大となる形で成果を残しておくべきである。ネット時代には、ネット上の文章とビデオという形で残されるべきである。
元々WEBが発明されたのは、ネット上で論文を共有する為であったし、Googleのランキングも、論文のインパクトファクターの考え方を応用したものである。
http://www.w3.org/People/Berners-Lee/
http://www.kenkyuu.net/biotech-01.html
学問、研究者あるいは大学といった組織も、社会との関わりの中に成立するものであるから、ネットの出現によって本質的変化があってしかるべきである。その変化はまだ始まったばかりであると思う。
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