2007年02月14日

岸辺のふたり

「岸辺のふたり」というアニメが世界的に共感を呼んでいるようである。父親と娘の絆を描いた作品である。

http://www.youtube.com/watch?v=y75x9hCzcGw&mode=related&search=
http://www.crest-inter.co.jp/kishibe/

マドンナにも「OH FATHER」というのがある。こちらもモノクロである。娘は父親を乗り越えて生きる存在だと考えると、なぜ高橋尚子が、あそこまで頑張るのか理解できる。
http://www.youtube.com/watch?v=caOjYmWDEWI

夫婦は紙一枚の契約に過ぎないのに対し、父娘は遺伝子で繋がっている訳で、はるかに強力である。最近は「上手く行かない時はすぐ戻ってきなさい」と言って、花嫁を送り出すそうである。

憲法の「婚姻は両性の合意のみに基づき」というのは理想主義的であるが、実際は、父親から一時的に預る行為に過ぎないようにも思う。

Posted by shimoura at 05:47 | コメント (0) | トラックバック

40年前の原子力

井上信(元京大原子炉実験所長)の講演があった。原子炉が出来た当時の新聞を見ると、夢と希望に溢れていた時代もあったんだなと思う。

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/kurri40/shinbun.html
http://ameblo.jp/kagaku/entry-10024352958.html

熊取の原子炉(5000KW)は、当時の若手技術者が創り上げた国産技術であった。1964年頃の話である。1970年8月の大阪万博会場に、初めて関電美浜発電所から原子力の電気が送電されたが、この原子炉は米国製であった。
http://www.mhi.co.jp/atom/toumyou.htm

当時、「原子力平和利用」というのは夢と希望に溢れていて、大学の「原子力工学科」には秀才が集まったが、その後の凋落で、「量子システム工学科」などに看板を変えざるを得なくなった。
http://education.ddo.jp/kagaku/inoue2.wmv

ただ40年前も、原子力に対する不安はあって、熊取に決まる迄は、宇治案とか、交野案で二転三転したようである。熊取でも、「原子炉と集落の間に職員宿舎を建てて家族とともに住むこと」、という条件が地元からつけられた。(柴田俊一所長回顧録)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/kurri40/40nenshi/mokuji.htm
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/kurri40/40nenshi/40shipdf/kaikoroku.pdf

私は後年、この話を母親から聞いてショックであった。父親が原子炉で働いており、職員宿舎に住んでいたからである。まわりは自然に満ちていて、とても楽しい人質生活だった。

最近は、原子力見直しの動きが出てきている。平和(文明生活)を維持するには、エネルギーが必要で、石油資源には不安があるからである。インドにしてもイランにしても、海外から叩かれつつも、あくまで自国の原子力技術を育てようとする根性は見習うべきものだと思う。

Posted by shimoura at 05:45 | コメント (0) | トラックバック