2005年は「科学カフェ元年」だそうで、各地に科学カフェが誕生した。実施団体もNPO,大学、地方自治体、図書館、個人等多様である。
http://cafesci-portal.seesaa.net/
http://blog.so-net.ne.jp/kekemir/2005-10-19
「科学カフェ京都」は2004年10月から活動を開始しており、先駆的なものとして評価されている。なぜ、この時期にイッセイに誕生したか? と考えると、「地域の時代」というキーワードが思い浮かぶのである。
http://ameblo.jp/kagaku/theme2-10001254674.html
http://www.asahi-net.or.jp/~ix6k-smur/mankai/2004/1022.htm
「学問」というのは、本来プロのみが担うものではないし、専門分野のみに埋没すべきものでもない。 町人意識、市民意識が高まると、市民自ら「社会や次世代に情報を伝えよう」という欲求が高まる。マイケルファラデーが「ローソクの科学」の講演をしたのは、産業革命後期、1861年のクリスマスであったし、大阪に「懐徳堂」が誕生したのは、元禄文化後期、1724年のことである。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0859.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%A6%84%E6%96%87%E5%8C%96
因みに、懐徳堂を源流とする阪大は、「国家ではなく町民が創った大学」を売りにしている。福沢諭吉を生んだ「適塾」の頃までは日本トップの水準にあり、そのプライドが裏目に出て京大に抜かれたという歴史がある。国家の大学を拒否したのである。現在は、「コミュニケーションデザインセンター」を創って、学部横断的な教育に挑戦しているそうである。従来、総合大学と言いながら単科大学の集合体で、例えば文学部と工学部が協力して研究する機会は無かった。
http://www.osaka-u.ac.jp/jp/about/history.html
http://www.osaka-u.ac.jp/jp/about/tekijuku/
http://www.ncs.co.jp/nakanoshima/tekijuku.htm
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/
で、情報革命真っ盛り、2005年の「科学カフェ運動」はどのような歴史的意味合いを持つだろうか? 中央集権的で硬直した管理教育の弊害、高齢化に伴う地域人材の充実、インターネットによる情報公開等、様々なフォローのベクトルが働いているのは確かである。
科学カフェ京都の参加者には高齢者が多いが、高齢者の経験、能力、人脈、資力等をうまく活用できれば、案外、面白い物に発展するのではないかと考えている。